bunnah
創作曲のできるまで
「ブンナ」を創る

第27回 コンサート・デザイナー登場 

甲賀雅章さん。  第5回演奏会のために詩集のようなパンフレットを造ってくださった御縁で、こんなことに。第6回演奏会のパンフレット=TERRA20年誌もお願いしました。

演出でもなく舞台監督でもなく、コンサート・デザイナー
甲賀さんにお願いすることにした。
コンサート・デザイナーとは新語だが、
初演のステージをどんなスタイルにするかを監督する役、
といえばよいのだろうか。今までにない任務なので一言で言い表せないが、
ともかく守備範囲は多岐に渡る。
甲賀さんはつぎのようなことを思いながら
『ブンナ〜』が出来て行くのを見守っていたのだ。

合唱曲の演出、しかも、動物を主人公にした水上勉の童話で、 テーマは「命のかけはし」、という依頼を受けたときの気持ちを
  今までに様々な舞台を見てきて、自分自身で演出をしてみたい
と思っていました。
したかったのは、合唱曲の演出というより、合唱団そのものの演出。

この依頼、舞台のスペースと人数との兼ね合いで、
かなりの制約を受けると思いました。これは予想通り。

逆に、テーマが明確なので、舞台のイメージはつかみやすいだろうと。
ところが、これは予想通りとはいかなかった。

最初の段階から映像を使うアイデアを口にされましたが、なにか理由が?
音楽はそれ自体が
イマジネーションを映像として描かせるものではあるのですが、
初めて聞く観客に、テーマが持つ世界観を
素早く・身近なものとして感じさせるには
視覚伝達が効果的である、と感じました。

観客が歌われている歌詞を言葉として理解するのは、やはり難しい。

単に音楽芸術として感じるだけで済むなら別ですが、
ここまでテーマが人間の根幹に関わるものとなると、
やはり、理解することが必要ではないでしょうか。

映像はその理解を手助けしてくれる。

原作の重要なセンテンスを字幕で映し出すというのは卓越した思いつきでしたね。
当時封切られた映画『御法度』(大島渚監督)は、
実に効果的に字幕を使っていた。

画面上の動きだけでは伝えきれない情の「すき間」を
字幕の文字が見事に埋めている。

あれを観て、この字幕のアイディアの効果に確信を持ちました。

初演では照明も使いました。ジョーゼットをパイプオルガンの手前に垂らしましたが、狙いは?
出来るだけ余分なものを見せたくなかった。
観客が舞台に集中できるように、
演出的に用いられたもの以外は全て隠したかったのです。

同時に、第2部(『カルミナブラーナ』)との差別化を図りたかった
というのも狙いです。

もちろん、字幕や照明効果のためにも必要ではあったわけですが。

初演の舞台をどんなふうに仕立てようと思ったのか、お聞かせください。
<良い演奏会だったね >と言われるより<良い舞台だったね >
と評価されるもの。

合唱の巧さそのものよりも、
新しいことにチャレンジしているTERRAの姿勢・気概
みたいなものが伝われば、と考えていました。

それが、結果的にはテーマの理解につながるのではないか、とね。

TERRA(或いはアマチュア合唱団)と共同作業してみて、いかがでした?
難しいけれど、面白い。これが正直な感想です。

いろいろな人がいるから難しい。いろいろな人がいるから、
また面白い。

TERRAが何を目指していくのか。
これは、本当に重要なことだと思うのですが、
まだ、それが不明確なような気がします。

リーダーが目指している姿と団員が参加している意識、
そこに生じるギャップがうまく協創すれば面白いものになるでしょう。
逆の場合は、ハーモニーが取れません。

徹底的にぶつかること、そこに新しいエネルギーが生まれてくるはずです。
馴れ合いが一番恐いですね。

演奏会においては、もっと明確な役割分担と権限の委譲が
必要かと思います。船頭が多すぎる船は、実は乗客にとって
不安の材料でもあります。

『ブンナ』再演があり、そこで演出の手腕をふるうとしたら、その戦略は?
もっと視覚的に、もっと詩的に。
でも、静岡音楽館AOIでは限界がありますね。
TERRAにやらせてみたい新しい試みが、もし、あれば。
新しいタイプの視覚オペラ。映像とのコラボレーションです。


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