メンバーファイル40                     静岡混声合唱団TERRA

平成14年4月30日(火):ベース、ジュンちゃん&TERRA辞典(3)
む:
 今回もまたまたベースから、創立からのメンバーのジュンちゃんです。まだテラに来る前、ヒロシさんと男声合唱を始めようか?と言う話になって集まったメンバーにジュンちゃんも居たんです。まあそんな事は後の話にして、早速質問ですが、いつから合唱を始めたのですか?
ジュン:
 小学校6年の1学期の音楽の時間に、1人1人「おおブレネリ」を歌わされて、たまたまうまく歌えて合唱部に入ったのが最初です。1学年下にクボチン(テラ創立当時のメンバー、現在OB)がいました。鼓笛隊にも入っていましたが、合唱そのものにはあまり興味はなかったですね
む:
 どんなきっかけで音楽に興味を持ったのだと思います?
ジュン:
 音楽はもともと好きだったのですが、小学校4年生頃、当時電蓄と言った機械を買ってもらい、最初に聴いたレコードがベートーベンの「運命」。子供心に感動し、それからクラシック音楽のレコードはよく聴きましたね。ある時テレビで「運命」のコンサートを見て以来、指揮者というのは常にオケより一瞬先行して振るものだと信じて疑わなかったですね。中学校になって楽譜を見て唖然としました。「休符で始まる交響曲ってあるんだぁ」てね。そんな訳で、中学・高校とブラスバンド(吹奏楽)部に入りました。今となっては、ホラしか吹けませんが(^_^;)、当時はホルンを吹いていました。 ところで「む」さんを始め、メイ、エッ、ピーちゃんは同じ中学の1つ後輩なんですよね。当時は全く知らなかったよね。
む:
 私達の頃は生徒数がすごく多くてクラスが12もありましたし、上級生なんてぜんぜんわかりません。また私は、その頃まだ眠っていましたので、(今はボケてますが・・)同級生でもわからない。入団当時ピーちゃんに「私は誰でしょう?」なんていわれてもさっっぱりわからなかった。
ジュン:
 そうですか、無理ないですよ。私達の学年でも14クラス650人くらい居たんですから。もう1つ聞いて良いですか?なぜ「む」さんなんですか?
む:
 ドッキ!実は高校時代、自分のペンネームを考えていたんです。自分のイニシャルの頭文字を取って、それをひらがなで表記したのです。今まで1度も使った事がなくてHPを作るのにちょうど良いと思って使ってます。
ジュン:
 なるほどわかりました。団員以外でこのHPをご覧のギャラリーの皆様、テラ掲示板の「ウッ」さんと「む」さんは同じ人なんですよ!
む:
 ばれちゃいましたね。今後もHP管理人第3号の名前は「む」で行きますからよろしくネ。(テラの団員でもこの事を何回提示してもわからない人が居て困ってます。)興味のなかった合唱にのめりこむきっかけはどんな事からだったんですか?
ジュン:
 あれは、昭和45年の秋、高校2年生の文化祭の事。場所は今はなき「公会堂」。(現在の市役所新庁舎の建っている場所)毎年ブラスバンドは、ジャズステージを持ちノリノリの花形でした。ところが、その年のコーラス部の演奏は、「眠れ幼き魂(こころ)」と言う原爆で亡くなった女の子を主人公とした組曲でした。ナレーション役もすばらしかったけれど、12〜13人の部員の演奏が終わると、会場は涙、涙、涙・・・・。ショックでしたね。負けたと思いましたね。楽器演奏では到底及ばない「言葉」と言う感動させる武器が合唱にはあるのだと・・。(ちょっとキザかな)
む:
 んーなるほど、目からうろこですね。観客に伝える道具がもう1つあると、こう言う事なんですね。
ジュン:
 そんな訳で、大学に入って合唱をやりたいけど、グリークラブ(当時、皆川達夫氏、小林研一郎氏が指導していました)は敷居が高いし・・。と思っていたところ、キャンパスを歩いていた私に混声合唱団所属のきれいなお姉さんが声をかけてくれたんです。まさに渡りに船。もちろんすんなりと入団!と言う訳です。
む:
 イノさんのノリですね。そこはどんな合唱団だったんですか?
ジュン:
 ロシア民謡など各国の民謡をレパートリーとし、定期演奏会では必ず日本民謡の踊りもやると言う、ちょっと変わった合唱団です。多い時には100名を超えていました。テラの忘年会でソプラノの皆さんが披露してくれた、ロックソーラン節ではなく正調ソーラン節の踊りもやりました。古い話で恐縮ですが、昭和50年大学4年の時地方公演を静岡市で催し、その時薬大コーラス部に賛助出演してもらいました。最後に薬大のクラブソング「心騒ぐ青春の歌」を合同で歌いました。(同歌は現在も県立大学コーラス部のクラブソングとして歌い継がれています。)
む:
 100人の合唱団とはすごいですね。私の大学時代の合唱団は、グリークラブで50名!ハードな学生指揮者に引張られて、3年の時2位、4年の時1位になって全国大会へ・・。卒業後何年も全国大会の常連として出ていました。今でこそ小さな合唱団になってしまいましたが。そこに息づく思いは相変わらずですね。おっと気がついたら自分の話になってました。テラに入ったきっかけを聞きたいですね。
ジュン:
 静岡へUターン就職した後、暫く「第九」にはまり、3シーズンで9回もステージに立ち一区切りつけました。昭和55年、音楽協会主催の「森の歌」の有志メンバーでテラを創立。私も仲間に入れてもらったという次第です。当時の団員の平均年齢は20歳代前半で当然若々しかったんですが、21年経った今も雰囲気は何も変わっていないですね。
む:
 ヒロシさんからも誘われたのですが(誰にも声をかけていたようです)当時は、「飛翔」で頑張っていたので移る気には、なれなかったですね。創立当時から今までのテラの活動(演奏会も含め)で印象に残っていることは?
ジュン:
 それはゼロから始めた第1回演奏会ですね。皆が知恵を出し合いマドリガル曲集をひとつの物語とした手作りのステージでした。それと後にも先にもないと思いますが、「鶴」の冒頭のソロをやらせてもらった事かな?
む:
 今後どんな歌を歌っていきたいですか?
ジュン:
 テラに入っていろいろな歌に巡り会えて幸せです。お寺の練習場で西洋の宗教曲も経験できるなんてラッキーじゃないですか!いま団員は60名を維持 瞬間70名になろうという、(テラ史上)かつてない大合唱団になりました。このスケールを生かして日本の組曲を歌ってみたいかな。(15周年記念CDの時の「水のいのち」・・歌っていないんです。)それと、1度本格的なコンクールに挑戦してみるのもどうでしょうか?過去の演奏会で、来場者からのお褒めの言葉を頂きますが、この辺で本当のレベルを探ってみたい気持ちもします。
む:
 私も同じ気持ちですね。レベルを探ると言うよりレベルアップをはかる、ひとつのきっかけになるのでは?と考えてはいますが・・。ところで仕事はどんなことを?テラの活動に支障ありませんか?
ジュン:
 JAバンクの仕事をしています。本上まなみのCMや、貯金魚のラッピングバスを見ましたか?練習には遅刻、欠席が多くご迷惑をおかけしています。
む:
 合唱のほかの趣味は何かお持ちですか?
ジュン:
 時々お声がかかり、雀荘「テラ」で遊んでいます。双子の子供も4月から中学3年になりますが、長男はテニス、長女はバスケットボールをやっており、どちらも父母会の役員をやっているため土日が試合の時には駆けつけています。特にテニスは、出場選手の試合をビデオカメラで録画し、ダビングして各人に渡していますので結構忙しいのです。また最近ようやく、パソコンを買いました。毎日マニュアル片手に奮闘しています。これも、はまる予感がしています。テラには、パソコンの達人が大勢いますので、ご指導ください。
む:
 雀荘「テラ」のほか、トランプクラブ「テラ」、お茶会「テラ」、などいろいろな「テラ」を取り揃えております。もちろんメインは呑み会「テラ」でしょうが・・。え?それは間違い??? ☆そうだ!!メインは合唱団でした!
  パソコンと言えば私はやっと4年になります。(まだまだ初心者です。) 何かわからない事は掲示板にでも書きこんでください(お答え出来る範囲で)お返事返ってくることと思います。ながながいろいろお付合い頂いてありがとうございました。これからも一緒に歌ってください。

本人の顔はイラストで紹介しています。

←ジュンちゃんです。


テラ出版編
TERRA辞典 [第1版]
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テラの用語を解説する「TERRA辞典」
時には、まじめに、時にはおもしろく解説していきます。

くすだま【くすだま】[手作り] イベントの時に時々登場する、網目のざるをふたつ合わせ色紙を張ったもの。その時の用途に合った言葉を添えた垂れ紙を中に入れ、飾り付けをする。新年会には和紙で鶴を入れたり、春爛漫コンサートは、ひらひらの花にしたり。またインパクトがつよく、ちょっとおしゃれな垂れ紙の言葉を考えるのもなかなか苦労するが、何がたいへんと言えば、本番に上手くいくように行うテスト。中に入れる、紙テープを何本も何本もくるくると巻き直してセットするのだが、これが時間がかかる。しかもテストは一度では決して終わらない。何度も繰り返し行うので、指が疲れる。ので作る人数は多いほどよい。

くつだな【靴棚】[備品] 練習場の教覚寺ホール(約40畳)に50名以上のメンバーが集まると、当然ごちゃごちゃの靴がドアの外にまではみ出す。そのため靴棚を用意してもらった。テラには、無くてはならない品物。

こうが・まさあき【甲賀雅章/氏】[プロデューサー/コーディネイター] 「大道芸ワールドカップインしずおか」のチーフ・プロデューサーとして有名な人。第5回演奏会のプログラム冊子がテラとの最初の接点。「詩集のような冊子(プログラム)を作りたい」という意図どおり素敵なものを作ってくれた。第6回演奏会ではプログラムの制作ばかりでなく「コンサート・デザイナー」として幅広いアドバイスをもらった。テラロゴ、マークも同氏の助言によるデザイン。 ⇒テラバッジ、第5回演奏会、第6回演奏会

演奏会前の準備には、いつも熱が入る。
「2002年春らんまんコンサート」でも
まるで中学、高校の美術部みたいな乗り!
ヤッパリ、精神年齢は・・・若い!

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